一戸町長 稲葉 暉


   一戸町長 稲葉 暉



牛乳の話(広報2011・11月号)

 テレビ番組で、面白い話をしていました。それは「牛乳は、朝、昼、晩のどの時間帯で飲むのがベストか」というのものでした。どの時間に飲んでも同じだと思っていた私は、まず、この設問にびっくりしました。もちろん、正解も知りませんでした。皆さんはどう答えますか。
 私は、どちらかというと、毎朝おいしく牛乳を飲んでいたので、朝だと思っていました。しかし、正解は「晩」でした。その時間帯が断然、カルシウムの吸収率が良いのだそうで、体の動きは、時間によってプログラムされているのがその背景だというのでした。
 私もこの新しい栄養学に従って、夜にも牛乳を飲むように少し生活習慣を変えてみたいと思っています。さらに、最近、健康を維持するため、老化を少しでも遅らせるには、体幹(体の中心軸)をしっかりさせることが必要だと言われ始めています。
 大股で歩くこともその一つだといいますが、カルシウムをしっかり摂って、骨を丈夫にしておくことも大事なことでしょう。
 実際、町内で百歳を超え、長生きしたあるご老人は「八十歳を過ぎてから牛乳をガブガブお茶がわりに飲むようになり、骨折しても、医者が驚くような速さで骨がくっついた」とご家族から話を聞いたことがあります。
 幸い、わが町には、たくさんの熱心な酪農家がいて、毎日牛乳を供給してくれています。そればかりか、その原乳のみを使い、殺菌し、パック詰めにしている牛乳工場もあります。
 このことは、牛乳を手軽に飲めるということだけでなく、牛乳の安全性や品質を確かめやすいことを意味しています。いわば消費者である我々が、生産者である酪農家の皆さんと直に触れ合うことができるばかりか、飼っている牛そのものを見ることができるのです。信頼関係はそのことで築かれますが、大きな牛乳工場では、それをやりたくてもできないのです。
 実は、首都圏でもこのことに気が付いて顔の見える牛乳原産地の牛乳を飲みたいと行動している人たちがいます。その人たちは、スーパーで、安い牛乳を選ぶのではなく、少々高くても、納得できる牛乳を支持してくれるのです。大変ありがたいことです。
 十一月中にその集団の代表の方々が一戸町に視察に来ます。いや、視察ではなく、現地確認の目的で来られるというのです。必ずや合格点をもらっれ取引を継続させるだけでなく、さらに信頼を深めていただき、この物余りの時代の取引拡大につながればと期待しています。
 町の皆さんにも、もっともっとこの牛乳を飲んでいただきたいと思います。



バクテリアの活用(広報2011・10月号)

 過日視察した、鹿児島県鹿屋市の柳谷(やねだん)地区は、戸数百戸ほどの農村部の小さな町内会であるが、今日本で一番有名な町内会である。
 何事にも子どもからお年寄りまでの全員参加が原則であり、そのパワーを利用して少子高齢化や人口減少の難しい問題にも堂々と立ち向かい一定の成果をあげている。
 空き家を迎賓館と称して外部から若い芸術家を次々誘致して定着させているし、その勢いで外部に流出していた地区の若者のUターンにも成功していた。休耕地を地区全体でほぼ無償で借り上げ、独自の有機堆肥を作って、それをその畑に投入しサツマイモを栽培していた。それは良く売れるという。ついでにそのサツマイモを原料にして焼酎を作り上げ、またうまく販売していた。もうけがあり、それをまた町内会活動の資金とするだけでなく、各家庭に配当しているのである。
 行政からの補助金で運営される町内会でなく「自立して配当している町内会」であると言うのが町内会長さんの自慢のキャッチフレーズなのである。私が感心したのは、その堆肥にうまく土着の菌を捜し出して使っていることであった。その土地に適した菌であれば、その土地にあった堆肥を作り出せるのだと言う。単に化学肥料からの脱却でなく、こだわりのある堆肥づくりなのである。
 町内会員の総動員だけでなく、言わば土着菌まで動員しているのであった。化学肥料、農薬、原発のことなど考えるとわれわれはもっと自然の力、特に菌の力をうまく活用すべき時代に入っていると思う。
 今、一戸町の課題としてもこれがクローズアップしてきている。実は一戸町の下水処理場は、菌の力を二段階で活用している日本で最初の処理場なのである。一般の処理場は、一段階だけの菌による汚水の処理だけで終わっていてその結果汚泥が実にたくさん残る。とても終末処理場とは言えない。一戸町の場合はその次に高温菌による分解をしていて、実に汚泥が八割減るのである。
 今、生ゴミをこのような菌に食べさせてほとんど跡形が残らないような処理方法を検討中である。生ゴミゼロに一気に近づくのである。加えて一戸町は畜産の町であり、毎日大量の廃棄物が発生してその処理に困っている。この消滅型の菌の活用が大いにできるだろう。一戸町に適した菌を早く見つけ出したい。



原発事故に思う(広報2011・9月号)

先日、町内の国の出先機関に勤務している職員の人からある話を聞いた。
その人が今から二十年ほど前に福島県内で勤務していた時のエピソードなのだという。
そのことは彼の記憶の底に沈んでいたのであるが、福島原発の事故があってから二十年振りにふっと意識上に浮かび上がったものらしい。
 それは、二十年前に仕事の関係で農家を訪ねていた時にそこのお爺さんの口から出た言葉なのである。ちょうどチェルノブイリ原発の事故が報道されていたという。
そのお爺さんは「われわれは大変なものを福島に引き受けて、子孫に残すことになったかもしれない」と語ったという。おそらくその人はもう生きてはいないと思われるが、その予感は不幸にして二十年後に的中してしまったのである。
 福島県の山中に居て農業一筋で頑張ってきた人、つまり当然原子力の技術には疎い人が、かえってまっさらな心でこれだけの判断をしていた事に私も教訓として多いに学び、また、深く反省しなければならないと痛切に感じている。
 実は一戸町でも、チェルノブイリ原発事故後、しばらく経ってから甲状腺ガンになった子どもを夏の間、静養のため、お母さんと一緒に奥中山高原に受け入れていたのである。それを何年か続けたはずである。
 はじめは身体の休養だけなのかと思っていたのであるが、徐々にわかってきたことは、病気になってしまった子どもとその家庭は心の面でも大変なストレスを受けているということであった。
まさに今、福島県の避難民が抱えているのと同じ問題なのである。
 その子どもたちと一戸の子どもたちとの交流が行われ、その縁でベラルーシ共和国から招待があって、一戸南小学校の根反鹿踊りのグループが、向こうで開かれている日本文化祭に参加し、公演したのである。私も同行させてもらい、その地で被爆した児童が多勢入院している専門病院も慰問させていただいたのである。
 そのような経験をしながら、心のどこかでは日本は大丈夫との気持ちがあったと思う。ソ連の技術が劣っているから事故が起きたのであって、優れた日本の原発は安心だとの考えは、今にして思えば過信であった。物事は冷静に判断していかなければならないと思う。



復興の課題(広報2011・7月号)
 震災が起きてから三カ月が経った。この時点で我々に問われているのは、被災者のために、良い形でなるべく早く復興が実現できるように全力で力を貸すことである。
 しかし、その復興の妨げとなるような障害が浮上してきている。
 実は、その障害は今までも存在して私たちを苦しめてきたのだが、私たちが本気でその問題に向き合わず、そのままにしてきたのが、この震災で表面化しているのである。
 ツケを先送りにしているうちに、新しいツケが発生しているのである。
 その一つは、地価の問題である。三陸沿岸は平地が狭く、もともと実力に比べて地価が高かった。それでも、バブル崩壊後、地価が落ち着いたのであるが、平地が浸水してそこに戻れないとなると、残った平地が投機の対象となり、高騰しているという。
 これでは、高台移転などの新しいまちづくりができないし、家を失った人が土地を確保できなくなる。また、つり上がった土地を国のお金で買うとしても、財源上また、道義上問題が残る。
 この動きを抑制するよう監視し、必要があれば土地の強制収用をすべきなのである。
 私は、今先頭に立ってこのことを訴えているのだが、国などの反応は鈍い。
 実は、東京の地価も必要以上に高く、それが国民の家計を苦しめているのである。国民が汗して働いて得た富が東京の地価という、不労所得に飲み込まれているのである。
 今後の日本は、震災の復興を行うことのみならず、国民のためにならない矛盾を是正して、正しい国家の姿にしなければいけない。その意味でもこのことは試金石である。
 もう一つの問題は、復興の公共事業である。東北三県だけでも、十兆円、いや二十兆円と言われている。この大半をいわゆる、中央のゼネコンと称される業者が受注するのであろうが、利益率が二、三割であるとすると、復興費用の大きな部分がその業者に吸収されるのである。
 最終的に、国民の税金によって支払われるのであるから、非常時に適正な利潤で行われる公共事業に転換すべきである。
 すべての国民の監視の目が向けられることを期待するものである。



被災地への支援(広報2011・6月号)
 「情けは人の為ならず」ということわざがある。本気で人のために尽くした親切は、いつかはめぐりめぐって自分に返ってくるとの意味である。
 仏教の修証義にも「利他」という勧めがあるが同じ内容であろう。孟子にも「なんじに出ずる者はなんじに反る」との教えがあり、キリスト教も「なんじの敵を愛せよ」というほどであるから人に徹底的に尽せと説いているのであろう。
 今回の大震災では、町の皆さんには、災害が発生した時から被災地や被災者のために、本当に頑張っていただいて感謝している。
 震災後の二、三日目は、余震やそれに伴う津波がいつ発生するか分からないし、その危険のある中で、自衛官や警察官また消防署員などのいわゆるプロが懸命の救助活動をしていたので、素人が近づいてはかえって邪魔や迷惑になるだけであったから、助けたいと思っていてもテレビで見ているしかない状況であった。
 しかし、四日目ころから被災地へ出向き、救けたいとの気持ちが湧いてきた。そのような時にとある町民の方から「ぜひ力を借りたい」との電話があった。それは、その人もわたしと同じような気持ちになり「具体的に支援の検討を始めたのだがどうしても乗り越えられない障害があって、そのために力を借りたい」とのことであった。
 具体的には、一つ目は、燃料不足の中でのトラックの手配のこと。二つ目は、交通制限がある中での通行許可証の入手ということであった。
 トラックについての情報はすでに入手しており、通行許可証は、わたしが同行することで解決した。
 町民の皆さんの寄附や行政の買い上げの食料品、そのほかの物資を満載しトラックの提供もいただいて町を出発し、被災地で道なき道を迷いながらやっと目的地にたどりつくことができた。以後においても次々とほかの被災地に救援物資を届けることができたし、ほかの町民グループも大規模な炊き出しを六回もやってもらうことができた。
 今、わたしが不思議に思うことは、このような救援活動を夢中でやっているうちに町の生産物が次々に売れ出したことである。震災前までは、営業していても簡単に売上げを伸ばせなかった牛乳、パン、麺などがかなり売れてきたのである。
 中でも、横浜市にある町のアンテナショップでは、四月には前年比で倍の売上げになった。もちろん町内には震災の二次被害を受けている所もあるので手放しでは喜べないが、今後の一戸町の産業の伸ばし方や産品の売り方についても大きなヒントもつかむことができたと思っている。



デンマークの教育(広報2011.3月号掲載)
 昨年秋に、デンマーク国ネストヴェズ市を視察した時の余韻が未だに強く残っている。その余韻が、今、日本国や一戸町が抱えている問題の解決のために良いヒントになりそうな気がしてならない。特に、人材育成を学ぶべきと感じている。
 その視察の目的は、本来、日本より進んでいるデンマークの高齢者福祉制度を勉強するためのものであった。現在、日本には数十万人の施設の入所待ちの老人が居るのに、デンマークには一人も居ないとのことであった。入所の必要が発生したら必ず、二週間以内に住む場所を提供する義務が市に課せられているのである。
 現地に入ってみると、それは本当のことであった。しかも、デンマークの施設はいわゆる老人ホームではなかった。以前は老人ホームをどんどん作ってきたが、今は老人ホームを廃止し、日本にあるグループホームをずっと立派にしたような施設に切り替えているのであった。
 一人の老人に対し、居間と寝室、広いトイレが支度されていた。二十四時間ケア付きの高齢者住宅なのである。その方が人間的な生活が送れるので、変更したというのを聞き、わたしは二度びっくりした。
 さらに、三度目の驚きがあった。市営の介護士養成学校も訪問したのだが、そこの生徒の授業料が無料なだけでなく、なんと生活費相当の給料が支払われているのである。これも視察前には半信半疑であったが、現実のものであることが判明したのである。
 しかも、初級課程は十四カ月あり、次のレベルの教育に、さらに二十カ月もかけるというものであった。日本では授業料は自分持ちで、もちろん生活費も支給されていない。また、初級課程の勉強時間はきわめて短い。同じく日本人は勤勉な国民であるのに、介護を担う人材の育成の点では大きな違いがある。
 実は、デンマークでは、ほとんどすべての教育にこのような措置がなされている。大学教育しかり、農業学校しかりである。社会的に本当に必要な分野の不可欠な人材の育成には、社会全体で本気に取り組むとの姿勢なのである。
 逆に、日本の現状をみると、農業後継者がいないし、介護士が不足している。デンマークの対所得75%の税金の徴収は、単に高齢者福祉だけでなく、このようなしっかりとした教育にも活かされている。
 皆さんはどう考えますか。





停電は防げる(広報2011.2月号掲載)

 年末年始の大雪では、自然の猛威というものを思い切り見せつけられた。何しろ町道の除雪をすっきりした形まで進められたのは、一カ月後であったのだから。雪の量のみならず、雪の重さや硬さにも手こずったのである。
 また、降雪直後に除雪が進まなかった原因として、倒木がある。除雪しようにも木が道路をふさいでしまって前に進めなかった。また、木を伐採しようにも木が電線に接触していれば専門の人でなければ、手を付けられなかった。そもそも、その専門の人の絶対数が足りなかったのである。
 除雪ができないだけでなく、同じ理由で停電も広範囲にかつ長期化した。三日三晩、電気が来なくて寒さに震え、暗さを耐えた人たちが多数に上った。このような目には二度と遭いたくないと思う。何か防ぐ手立ては無いであろうか。雪そのものを降らせなくするような手段は無い。しかし、今回かなりのいたづらをした倒木は、ひょっとして予防できるのではないだろうか。答えは割りと簡単に出る。
 前もって道路や電線の近くの木を切ることである。そして、この答えは石油・ガスが燃料として普及していなかった五十年前に見つかる。当時の燃料は、ほとんどまきであった。そのまきを身近なところで調達した。道路の側とかである。しかも、木があまり太くならないうちに切るので、比較的楽に切れた。
 ところが、人が木を切らなくなってから久しい。五十年も経ったのである。高く太くなっている。斜面に生えている木は余計に切りづらいし、道路や電線、または家屋を気にしながら切らなければならない。人に頼めばすぐに百万円とかの話になる。だから身の回りの木はせっせと小さいうちに、まめに切るのが一番である。
 今、幸いに石油の高騰の話があるし、地球温暖化の防止のこともある。まきストーブを愛好する人も増えつつある。最初、大きな木を切ることを何らかの方法で解決して、後は道路の側や電線際の木はこまめに切って使いきることがこれから大事になると考える。




新しい地域運営の試みをする年に(広報2011.1月号掲載)

 町民の皆さま、明けましておめでとうございます。今年一年が各位にとって良き年となるよう祈念申し上げます。行政の責任者として、昨年と今年について説明させていただきます。
 まず子育て支援につきましてマニフェスト通り保育料の実質無料化と高校生までの医療費無料化を実施しました。加えて子育て支援住宅を開設し、早速町外から数世帯の子育て世代が転入しています。今年は次なる支援策としてこども園やさらなる支援住宅について内容を精査します。また、各種ワクチンの接種について、国の施策が固まりつつあるので町としての対策をしっかりし、子育ての不安を解消します。
 高齢者支援については、昨年県立一戸病院五階に老人ホームを開設でき、待機者の解消につながるだけでなくお医者さんがいつでも側にいる理想的な老人ホームとして受け入れていただきました。また軽介護度の方の冬期間の簡易ホームとしてあったかホームもすっかり定着し、重度であっても在宅でしかも介護サービスを利用しない方には現金の給付を充実しました。今年は介護保険五期目に向けての施設の拡充やあったかホームの拡大を図ります。
 つぎに、昨年は少額でも国保税の減税を実施しましたが、今年は一億円規模の給付か減税をし、皆さまの生活を守りたいと考えています。
 産業振興と雇用拡大について昨年は、横浜市にアンテナショップを開店し、自ら直接首都圏に産品を売る試みを開始しました。今年はその中でもヒット商品が出てくるように開発に力を入れたいと考えています。奥中山高原農協乳業の立て直しのため、商品構成を増やすための投資や体質改善を支援してきました。本年も一層経営が軌道に乗るよう関与して参ります。
 昨年は環境志向が世界的にさらに強まりました。その中で当町の製造業の主力製品である水晶素子や熱半導体素子へのニーズが高まっています。今年はそれらの製品のさらなる生産拡大や高度化を応援しますし、LED新素子のデビューもすぐそこまで近づいていますので情報を集めしっかり準備を進めます。
 生活の身近な課題である生ゴミの資源化についても一部実施する年になります。そのほかにも課題、話題は多い訳ですが皆さまとの対話を実施し、共に解決していきます。その一つの手段として全国他市の例のように議会と対立するのではなく、むしろ議会にも一部決定権を持ってもらえるような新しい地域運営の試みをする年としたいと考えます。地域の主人公である皆さまの今年度のご指導よろしくお願い申し上げます。




自給率を上げる原動力(広報2010.12月号掲載)
 
 先般開かれた産業まつりで珍しい出店者に巡りあった。屋外のテントの一画に店を構えていた。品物は野菜なのである。ここまではよくある話なのだが、なんと出店者はある学童クラブである。運動公園内の市民農園の一区画を借りて野菜を作ったのだと言う。
 一般に学童クラブの活動はその敷地内に限られると思いがちであるがそうではなかった。子どもたちが運動公園内の畑までゾロゾロ行進して歩く姿を想像すると何か楽しい気分になってくる。
 また、今年の暑い夏の盛りに子どもたちが汗まみれになって、農作業を手伝ったことに思わず敬服の念も抱くものである。子どもたちがこのような活動を通じて生命の素になる食物が、どのように植えられ育てられるかを理屈ではなく体全体で覚えておくことができるのであろう。
 加えて収穫も自らの手で行えば、食物を食する時にその記憶がよみがえり感謝しながら、まさにいただきますとの気持になると思う。安心で安全な食べ物づくりと、そうでない食べ物づくりの違いも分かりやすくなる。
 その苦労や創意や工夫が分かればいたずらに安く安くとせかすような買い物をしない大人に成長してくれるものと期待している。
 また、自ら作ったものを自ら売ってみる行為も、今、とても大切になっている。せっかく収穫した農作物を他人に任せにしておいては、生産者の熱意が消費者に伝わらない。
 逆に、直接消費者に売ってみるとそれが可能になるのである。このようなことを定着させるには子どものころからの体験がすべてであると感じている。農産物を正当な価格で売り買いするのには生産者としての消費者としての体験が一番の担保なのだと思う。食料自給率を上げるのもまさにそのことによる。
 法律や制度が保証できるものではない。しっかりとした生活態度や生活習慣がまず第一に必要であって、それを支えるのが法律や制度なのである。
 この順序を間違ってはならない。子どもたちの小さな活動によって、この混迷深まる情勢の中で、一筋の光が見えた感を抱いている。
 小さな活動の拡大や積み重ねを期待したい。




新しい電球(広報2010.11月号掲載)

最近ものすごい勢いで普及している商品がある。
 このデフレの安ければ良いという安売り競争の中で、どんどん売れ、数量が増え、かつその品物の値段は従来品に比べれば、はるかに高いのである。
 そんなものが本当にあるのかと思われるだろうが、本当に存在するのである。
 その一つがLED電球なのだ。 今まで電球といえば、白熱電球であった。割と切れやすいけれど、温か味があって、しかも値段が安かった。百円ほどである。その白熱電球がついに生産中止になったそうである。
 代わりに登場したのが、LED電球なのだが、価格は二千五百円とか、安くても千五百円とかである。白熱電球の十倍くらい高いのである。
 それでは、なぜ売れているのであろうか。
 まず、電球を使う側に得がある。
 LED電球は白熱電球の十倍の寿命がある。その寿命で考えると電球代は同じである。
 ところが、消費電力が十分の一であるので、その分利用者が得をするのである。加えて、電球を取り替える手間も十分の一になる。
 使用電力量が十分の一になることは、利用者が得をするだけでなく、社会全体のエネルギー消費が少なくて済む。また、電球交換が十分の一と言うことは、資源物質の消費量が十分の一になることである。このような理由でLED電球が広まっていると思われる。
 ただ、現在のLED電球にも弱点がある。それは、レアアースを使用していることだ。
 もともとレアアースに対する世界的な争奪戦がある上に、中国のように取引の材料に使う例も出ている。
 この問題に対して、一戸町が貢献できるかもしれない。誘致企業である東京電波㈱がレアアースを使わないLEDの開発を進めているのである。
 関係企業や大学を巻き込んだその開発が、かなりのレベルまで高まっているとの発表がこの間あったばかりである。
 仮にこの開発がさらに順調に進むと、世界的な技術革新と地球的な環境改善に一戸町も寄与できるだろう。楽しみである。




B級グルメ(広報2010.10月号掲載)

 不景気の中で、B級グルメが関心を集めている。B級グルメの著名な全国大会には、二日間で四十万人の入場者が集まったと言うし、その様子は各テレビで放送されていた。
 一位を始め上位入賞したグルメを持つ市町村には、翌日から人が押しかけ、店には行列ができたという報道まであった。
 確か以前にもグルメブームがあったと記憶している。経済がバブル状態であった時である。その時は高級なフランス料理とか、かなり凝った形の日本料理とかが、もてはやされていた。
 このような高級品指向のブームは、経済が低迷し始めると当然のことながらしぼんでいった。
 それに代わって登場しているのが、B級グルメだという。名前の通りA級グルメ、つまり高級ではない。
 しかし、いつの世もおいしい食べ物を求めるのが人間の性である。しかも今まで食べたことが無いような料理であれば、なおさら満足である。全国にはその土地だけで食べられ続けてきた料理が沢山ある。それをちょっと磨きをかけて全国的に売り出す。それがB級グルメなのである。
 焼きそばでも普通のソース焼きそばではなく、つゆを使ってつゆ焼きそばにしたり、具にホルモンを入れて、ホルモン焼きそばにしたり、実に多彩である。しかも、値段は焼きそばの範囲内に収まっている。
 確かに今の世相にぴったりで、人々を喜ばせる料理と言える。
 最近、近隣市町村でもこれに挑戦する所が出てきている。
 キャベツ入りの焼きうどんを発売している町もあるし、地元産の鶏を素材にし、新しい料理を出した市もある。
 いずれにせよ、一皿や丼物なのであるから難しい料理ではなく、むしろいたって簡単なのである。
 そこで、今町内で出始めているのが、一戸でも何かB級グルメを出してみたらどうかとの話である。
 何しろB級であるから肩に力を入れる必要もないし、さまざま試作してみても、ほとんどお金もかからない。
 もともと一戸町は他の市町村に比べても豊富な食材があるし、いくつかの食品加工会社もある。その素地を生かして、遊び心を持ってやれば、必ず面白いB級グルメが誕生するのは間違いないと思う。
 町民の皆さんの参加を期待したい。




頑張るトマト(広報2010.9月号掲載)

 毎日が暑くて暑くて嫌になる程の猛暑が続いている。人間だけでなく動物も大変そうである。実際二戸地区特産の鶏も、何万羽の単位で死んでいると言う。残念なことである。わが家の犬も、暑さでゼイゼイと呼吸している。散歩も熱くなる時間帯を避けなければならない。散歩の後に冷たい水をやると、実においしそうにそれを飲んでいる。
 植物はどうだろう。米は高温続きの気候のせいだと思うが、例年になく出穂が順調であったし、その後も着々と登熟が進んでいるように見えているし、黄金色の着色も始まっている。
 しかし、あまり高温が続くと障害も起きかねないとの声も上がっている。米は元々熱帯の植物なので高温に強いと思いがちだが日本、特に北日本用に改良されたのが現在の米なのでこのような高温は想定していないのだろう。
 ましてや高冷地野菜である。レタスのできが心配である。最近の温暖化の対応などとして標高のより高い高森高原にもほ場を移動したのだのだが、何とかそれの効果が出ていればと願うばかりである。
 このような状況の中で今年トマト生産の中間報告を聞いた。単価は昨年より若干落ちるけれど、数量が伸びていて金額で少しにしろ昨年を上回っていた。秋口に少し落ち込むとして、何とか前年並みの生産額を達成できるのではないかとの話であった。冗談に玉着きが悪いとの噂もあったので心配していたので安心をしている。
 また、酷暑のハウス内での労働の厳しさを思うにつけてもその労が報われて良かったとも思う。報告会には若いトマト農家も多勢出席していた。Iターンの新規就農者も含まれていた。その雰囲気の中で、もっと人と栽培農地を増やそうとの話で盛り上がった。
 まず、人を増やすには従来と同じに就農志向の強い人を農家に預けたいと思う。それに加え、就農志向はあるがまだそれ程強くない層を法人組織で預かって徐々に志向を強めていく方法もある。近隣町村の例を生かしたい。トマトの生産にはそんな広い土地は要しない。トマトに適した町有地も結構あるのでそれを活用するのも一つの方法である。トマトの夢、トマトのキャラクターの夢を見そうである。




中国への働きかけ(広報2010.8月号掲載)

 過日、県内の町村長たちと中国の上海市を訪問した。目的はそれぞれの自治体の今後の中国との付き合い方を探ることであった。
 付き合いの一つ目である。ご承知の通り、今日本はハッキリと人口減少の段階に突入し始めており、その中で各町村とも地元の特産品を売るのに大変苦労しているし、これからますますそうなるのは間違いない。何しろ、供給の過剰感が強まり、どんどん買い手市場になり、量がさばけないだけでなく、値段も大幅に下がる可能性がある。
 もちろん、このような産地として厳しい状況の中でも品質を高めブランド化したり、加工度を高めて安定化したり、直接販売を目指して不要なマージン分をカットしたりする基本的な努力は続けていくべきと考える。それとあわせて近年市場として膨れ上がっている海外の市場に関心を持つことが必要となってきた。
 日本の各企業は、安い労働力で安く製品を作る場所にして中国をとらえていたが、最近では有望な市場としてとらえなおす動きが加速している。それは政府が指導するとかではなく、各企業が自主的に判断し、行動しているのである。それでは、そのように行動できない小企業や農民、漁民を抱えている地方はどうすれば良いのであろうか。やはり政府の指導などを待っていれば出遅れるのが必然である。自分自身で動かざるを得ないし、今が動くべきときなのである。そう県内の町村長が決断し、上海を訪問した。
 ある町は、杉の木の集成材を売りたいとのことであった。残念ながら中国では、一戸建はコンクリートが主流とのことではあるが、家具、内装は有望との情報が得られた。海産物のカキを売りたい村もあったが、ライバルとしてオーストラリアのカキが存在することも分かった。
 一戸町としては、野菜とか牛乳が売れないかとの打診をした。中国側の考え方は、単純な一次産品は歓迎しないとのこと。理由は農村を守るためである。したがって、野菜などは無理であることが分かった。
 しかし牛乳は、加工品だからΟΚとの話であった。たぶん中国には守るべきほどの酪農業が存在しないからであろう。すでに大分県が試験的に上海に牛乳を持ち込んで大好評とのことであった。
 二つ目の付き合いとして、観光客の誘致に狙いを定めて訪問した。何でも上海では東京、京都に並んで北海道が大人気であるらしい。作戦の立て方によっては、東北地方も可能性があることが分かったのも収穫であった。




プラ印分別(広報2010.7月号掲載)

 わが家で排出する可燃ゴミが最近飛躍的に減量された。理由は簡単である。プラ印が付いているものを分別してみたのである。
 ヒントはある集会で一人の主婦が漏らした一言であった。「プラ印のゴミをより分けたらゴミが大幅に減った。半分以上減った感じかな」と言ったのである。この言葉がかなり気になった。わが家のゴミの中にもプラ印のものが多いなとは感じていた。また、可燃性のゴミをもっと減らせないかと思案していたのである。
 「そうか、プラ印の物を分別すれば半減できるかもしれない」と考え、実践を続けたのである。効果は劇的であった。ほとんどの物にプラ印が付いていた。また大半が洗わなくても良いくらいキレイな姿であった。若干の物は汚れていたので洗ったのであるが、気にならないくらい少量で、また汚れも除きやすかった。
 わが家のゴミからは生ゴミを分別して自家の堆肥処理してから数年が経っている。そうしたときにもゴミが半減したので、今回プラ印のものを分別してさらに半減したので、½×½=¼となって、ゴミがずっと前に比べて四分の一くらいになった。実感で言えば、ゴミがゴミ箱に全くたまらなくなったという感じである。
 そういえば、主婦がプラ印のゴミの話をした時、同席していた別の人が「仙台市ではプラ印の分別をすでにしている」と相づちを打った。住民のゴミに対する意識の高まりを感じたしだいであったし、刺激を受けたのも事実である。
 わたしの選挙でのマニフェストで生ゴミの五年間での全量資源化と十年間でのその他可燃ゴミの全量資源化を宣言したばかりである。その実現のために、工程の明確化や迅速化に取り組み始めた矢先である。
 順序から言えば、生ゴミの処理を先行してきっちりやってから、そのほかの可燃ゴミの処理計画を決めるつもりであったが、プラ印のゴミの分別がめどを立てやすいとなると先行後行ではなく並行して考えることができる。
 生ゴミの資源化には肥料(堆肥、液肥)として使う方法やバイオガスにして燃料として使う方法がある。プラ印の物の資源化も協会を通して物質として再生する方法と燃料として使う方法がある。わが町には、どちらがふさわしいであろうか。住民と共に考えたい。 
 またこうなって来ると、生ゴミとプラ印のものを除いた残りの可燃物も資源として仕分けて使いやすくなってくる。楽しみながら考えてゆきたい。




 都市計画街路の受賞(広報2010.6月号掲載)

 都市計画街路上野西法寺線がこの度の全国街路事業コンクールで特別賞の栄誉に輝いた。道路としての完成度に加えて、その道路の果たす都市的な機能、また街路と一体となった多様な施設が提供する使命、さらに周りの山々に囲まれながら、それと調和する街路と街区の景観が評価されたと感じている。
 すべては、一戸病院の移転から始まった。旧敷地の五倍の面積が必要とのことであった。五㌶である。その用地確保を考えた時、旧町内で探すのは無理どころか、そこから一番遠い山際しか取得できないだろうというのが一般の見方であった。バブルの最盛期でもある。
 しかし、わたしはヨーロッパで見聞きした都市づくりの見事さを一戸と関係ないとしてあきらめたくはなかったし、加えて県内で同じように移転を余儀なくされた県立病院が山際に移された場合、その後どうなっているのかをつぶさに視察した。
 病院を不便な山際に移してしまうと用地の確保が容易な代わりに思わしくないことが次々と起きていた。
 そこで、一番良い場所を選ばせてもらった。用地交渉は難航を極めたが、まちづくりとしては次から次へ新しい展開ができた。
 病院の隣に福祉行政施設や老人介護施設ができた。斜め向かいには、ホールと図書館が開設されにぎわっている。警察の交番もできた。
 また、商業ゾーンにはショッピングセンターが生まれ、年間一一〇万人が出入りしているらしい。真ん中の空間には、町民の手作りの公園が徐々に姿を現してきた。
 このような生活に必要な役割を果たすものが集積を続けてきたのがこの一〇年であった。また、この集積が相乗効果も生んでいる。見舞いに来た人が本を借りる。また買い物をする。親が買い物する間に、子どもが図書館で本を見る。また、万引きが少ないのも交番の存在のおかげでもあるらしい。
 医療と福祉の連携もやりやすい。新しい街なので、屋根や壁の色をそろえることもやらせてもらった。電線も地中化したり、見えない所に張った。落ち着いた上品な雰囲気になったと思う。一〇年前を思うと感無量である。一〇年前は一面の田んぼであったから。このような街の軸として県と町で分担して街路を整備してきた。
 この街路が受賞したのであるから、本当にうれしい。受賞を弾みとして、中心商店街まで届いた街路を、ぜひ線路を越えて役場前へも到達させたい。

 (広報いちのへ 2010.4月号 「特集 まちづくり」)

 (広報いちのへ 2010.2月号 「特集 チャンス」)

 年頭のあいさつ(広報いちのへ 2010.1月号掲載)

 所信表明(広報いちのへ 2009.12月号掲載)