一戸町役場
〒028-5311
岩手県二戸郡一戸町高善寺字大川鉢24-9
電話 0195-33-2111
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| 文化財めぐり |
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一戸町の文化財めぐり御所野遺跡は、墓跡と考えられる配石遺構を中心に計画的なムラづくりが行われた縄文時代中期の典型的なムラの跡で、平成5年に国指定史跡となっている。平成6〜7年で土地を取得し、平成9年から5ヶ年事業として歴史体験を実感できる本格的な史跡公園として整備しており、平成14年にオープンする予定である。 蒔前遺跡は縄文時代晩期の馬淵川流域を代表する遺跡である。遺跡が一般に知られるようになったのは昭和初期で、県立蚕業試験場の建設工事の際に多量の土器が出土し、空前の土器ブームを引き起こしたという。なかでも鼻の曲がった土製仮面は、ユーモラスな表情の仮面として全国的に有名であり、縄文時代の精神文化を伝える貴重品として平成6年に土器や石器などとともに国の重要文化財に指定されている。 一戸町内には中世城館跡も多くあり、それぞれ地域のシンボルとなっている。ほとんどは、支配地が一郷一村程度の地侍の居館跡と考えられているが、なかには糠部を代表するような大規模な城館跡もある。その代表的なものが一戸城跡で、南北700m、東西300mの広大な範囲に、北舘、八幡館、神明館、常念館、更に無名の館が分布している。昭和53年以降一戸町教育委員会で発掘調査を実施してきているが、内堀と外堀で囲まれた強固な城であったことが判明している。なかでも昭和62年に出土した馬の焼印は、中世の糠部の馬産を考える上での唯一の資料だといわれている「永世5年(1508)八条近江守房繁作の馬焼印図」を裏付ける遺物であり、平成7年に岩手県有形文化財に指定されている。この焼印の出土により、城内に馬が集められ、焼印を押した後、各地に送られていたという事も明らかになっている。その他九戸の乱で中央軍の攻撃を受け落城したと言われる姉帯城跡を、平成8年度から3ヶ年計画で学術調査しており、城中心部で建物跡や墓跡が見つかっている。特に墓跡は落城直後のものと考えられ、人骨の他、和鏡3点がまとまって出土しており、注目されている。そのほか、南部信直と九戸政実の南部氏の領主をめぐる争いで、一時信直が待機したといわれる月舘城跡など、町内には歴史的に由緒ある城跡が多く、各地域にそのままの状態で残されている。 一戸町は天然記念物の宝庫でもある。根反の大珪化木、姉帯・小鳥谷・根反の珪化木地帯、実相寺のイチョウ、藤島の藤、更に浪打峠の交叉層の5件が国の指定をうけている。 以上の5件は、いずれも第二次世界大戦前に指定されており、県内を代表する天然記念物ともなっている。特に根反の大珪化木は、高さが6.4mあり、日本最大の直立する珪化木で、特別天然記念物に指定されている。樹齢数百年と言われる藤島の藤も日本一の大藤と言われ、訪れる人も多い。このように5件もの国指定天然記念物を持つ市町村は珍しく全国でもあまり例がないという。その他町内の古木や珍しい木など10件が町の天然記念物に指定されており、併せて保護している。 社寺建築にも特徴的なものが多い。町の中心部に近い西方寺毘沙門堂は寛文3年(1669)に建立された三間四方の小堂である。岩手県北地方では、浄法寺町の天台寺観音堂に次ぐ古建築物であり、岩手県有形文化財に指定されている。堂内には阿弥陀、地蔵、毘沙門の3体の仏像のほか、建立以来つぎつぎと奉納された絵馬が多数残っており、明治以前のものだけで約70体を数えている。裏山には平安時代末から鎌倉時代初期の経塚が2基残っている。そこから出土した珠州系の経壷、更に中国産の青磁香炉なども伝えられている。以上はいずれも一戸町の有形文化財に指定されている。 糠部三十三観音巡礼は、400年以上の歴史を持つ由緒ある巡礼であるが、一戸町北部に位置する鳥越観音堂はその27番札所(古くは3番)となっている。慈覚大師が開基したという伝説を持つこの寺は、急峻な崖に作られたお堂(奥院)として有名であり、一戸町の有形文化財に指定されている。寛文12年(1678)の棟札が残っており、洞窟内の古建築物としてはかなり古い部類に属するが、残念ながら文化文政以降にかなり修復をしている。なお中世の糠部三十三観音巡礼の貴重な資料である永正九年(1520)の巡礼札があり、岩手県有形民俗文化財にしていされている。 朴舘家住宅は、桁行17間、奥行9間、総面積が150坪の現存する岩手県内の古民家の中では最大規模の建物となっている。特に梁行が9間と長いため、特にも屋根面積が広く、巨大な構えとなっている。平成5年に屋根の全面葺き替えを実施しているが、使用したカヤは16,000束に達している。現在建物の内部も整備し、民具などのほか二戸地方の漆ろう関係の資料も展示し、平成6年から一般に公開している。 一戸町西部の鳥海地区は、古代から中世にかけての遺跡の多い場所である。月舘字宮田にある宮田宝篋印塔は、室町時代の初期、応永5年(1398)に建立された供養塔で、亡くなった自分の身内の供養と日々の平安を祈り建立されている。このような宝篋印塔は岩手県内では二戸地方に最も多く、中世の糠部を支配した南部氏に関連のある石塔であろうと考えられている。なかでもこの宮田宝篋印塔と更に500m程北にある薬師堂宝篋印塔は最も古い形態を残す宝篋印塔である。 近世の重要な街道の一つである奥州街道は、一戸町の中央を南北に連なっている。幸いな事に、明治以降作られた国道4号線が旧道から外れて作られたため、道と一里毎に作られた塚、一里塚が5ヶ所でそのまま残っている。このように連続して残る一里塚は岩手県内にはほとんどなく、いずれも岩手県指定文化財に指定されている。 |