一戸町役場
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| 史跡めぐり | 国指定遺跡 |
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一戸町の史跡めぐり御所野遺跡 縄文時代中期後半(約4500年前) の大規模な集落遺跡として国の史跡指定を受けた御所野遺跡は、町の北東部の岩舘地区で発掘されました。 遺跡の中央部に造成された広場には、配石遺構と墓が環状に配置され、その周辺に竪穴式の住居跡が分布しています。この住居跡は遺跡の中央部、東側、西側の3ヵ所にあり遺跡全体で 600棟以上と推定されます。 御所野遺跡は周辺の文化財(根反の大珪化木、藤島の藤、浪打峠の交叉層等)と一体となった歴史ゾーンの中心施設として史跡公園の整備を進めています。公園内には配石遺構やまつりの広場、さらに住居跡などを復元し、縄文のムラが再現されます。周辺には体験学習施設や展示施設を建設するほか、散策道、お花畑なども整備する予定です。 さらに詳しい御所野遺跡のホームページへはこちら。 根反の大珪化木
御所野遺跡の近くを流れる根反川を3キロほど遡ると、ひっそりと佇む珪化木を見ることができます。国の特別天然記念物として指定されてるこの珪化木は、かつてこの地に直立していた木が火山灰に覆われて化石となったもので、根反川の浸食により地表にあらわれました。 大珪化木といわれる所以は、直立する珪化木では日本最大であろうと考えられているからです。直径2m、高さ6.4m、幹の周囲7mのこの大珪化木は、木の株から幹の部分に相当し、もともとはかなりの大木であったと推定されます。樹種はセコイアメスギという杉の一種で、今から1500〜2500万年前のものだろうといわれています。 町内の珪化木は根反の大珪化木以外にも、馬淵川の流域に点在しています。馬淵川と平糠川との合流地点から姉帯方面に5キロ(馬淵川沿い)、小鳥谷方面に3キロ(平糠川沿い)、馬淵川と根反川の合流地点から根反方面に5.5キロ(根反川沿い)の川床や川岸は、珪化木が多く露出している場所として国の指定天然記念物となっています。 珪化木とは、珪酸が地中に埋もれた木の中にしみ込んでできた化石のようなもので、この地帯の木の種類はセコイア(杉の一種)、シマモミが多く、ブナ、カエデ、カシ、クルミなどもあります。 人類誕生以前の姿を今に残す、根反の大珪化木をあなたも訪ねてみてはいかがでしょうか。 浪打峠の交叉層その昔一戸から福岡へぬける浪打峠は、奥州街道を歩く人々の心身を癒す場所だったようです。現在はトンネルが開通し、一戸側からは徒歩で、二戸側からは車で峠の頂上へ行くことができます。 頂上の断崖には美しい縞模様を描く交叉層があります。これは浅海に堆積した貝殻を含む砂が、波浪の流動作用によって形成されたもので、あたかも激しく打ち寄せる波浪に浸触された海辺を想わせます。 明治9年の明治天皇御巡幸の際には、ある老人がこの峠にある山下水という湧水を汲んで、茶を奉ったというエピソードもあります。現在でも山下水は湧きつづけています。 藤島のフジ
藤島のフジは、小鳥谷駅から南へ600mの小鳥谷小学校の校庭のすぐ下にあります。この地は、昔の仁昌寺という寺の境内にあたり、天正19年(1591)九戸の乱で上方軍の蒲生氏郷が、九戸方の姉帯城を攻撃するために陣を張った場所だとも伝えられています。当時は、周囲三方に堀がめぐらされ、島状の場所に生えていた事から「藤島」と呼ぶようになったといいます。 この藤は天然のノダフジ(野田藤)で、春から初夏にかけて紫色の花をつけます。樹木の根回りは4m、高さ20m程の巨木で名実ともに日本一の藤です。しかし樹齢は数百年以上と推測される老木で、近年は主幹の腐朽の進行が心配されています。 実相寺のイチョウ一戸字大沢の実相寺には、境内の向かって左側に珍しいイチョウの木があります。ふつうイチョウには雄と雌の木があり、実をつけるのは雌の木だけですが、実相寺のイチョウは雄の木でありながら秋には実をつけます。 これは幹の一部が突然変異して雌の枝に変わったものと考えられ、昭和31年に天然記念物に指定されました。当時、このようなイチョウは全国に3ヶ所あったといわれますが、現在では実相寺のイチョウを残すだけのようです。しかもこのイチョウは写真のように、ブドウの房状に実をつけるという異常習性も持っているのです。 秋に一戸町を訪ねる機会がありましたら、実相寺のイチョウを一度見てみませんか。 鳥越山観音堂奥院岩手県指定有形民族文化財となっている巡礼納札のある鳥越観音は、伝説によれば、平安時代のはじめまでさかのぼる古寺です。この巡礼納札には永正9年(1512)の記録があるので、すでに室町時代の後半には観音巡礼の霊場として賑わっていたようです。 岩窟の奥にある奥院は江戸時代になってから建てられたもので、岩窟内にある江戸時代の建物は数少ないといわれており、その意味からも貴重な建物となっています。 夏場は鬱蒼とした緑に囲まれる鳥越山観音で、重厚な歴史を感じてみるのも一興ではないでしょうか。 朴舘家住宅
文久2年(1862)に建てられたといわれていますが、棟札がないため確実な年代は不明となっています。ただ建築技法等から江戸時代末期の建物であろうと推定されています。間口17間(約30m)、奥行9間(約16m)の直屋で、総面積150坪の岩手県内では最大規模の民家です。直屋というのは長方形平面をなした民家で、曲屋と区別されます。 平成2年に県の有形文化財として指定を受けてから、町が所有・管理していますが、昭和60年までは実際に住宅として使われていました。現在、町ではこの住宅の見学を開放していますので、江戸時代から時間が止まっているような姿を見て、ノスタルジックな雰囲気を感じてみるのもいいかもしれません。 土面
この写真の仮面は、蒔前遺跡から出土した「鼻曲り土面」といわれる縄文時代晩期(2500年前)のものです。蒔前遺跡は一戸町蒔前、現在の県立一戸高校の西側にあり、昭和5年の発掘時には土器、石器をはじめ土偶、土笛、土面など数百点が出土したといいます。なかでもこの鼻曲り土面は、蒔前遺跡を代表する遺物となっています。 長さ18cm、幅11cmで顔全体が右から左へゆがんでいて、鼻はほぼ中央部から右曲がりになっています。顔の両側には紐を通すためと思われる孔があり、仮面としてかぶっていた可能性があります。また、顔の一部に朱が残っていることから、当時は全面が赤い特異な仮面で、まつりや信仰に使われていたと考えられます。 |