小枝八幡宮板碑

更新日:2021年12月10日

小枝八幡宮板碑

小枝八幡宮板碑

《町指定有形文化財》

ふりがな:こえだはちまんぐういたび

名称:小枝八幡宮板碑

数量:1(2)

所在地:一戸字小井田18-2 小枝八幡宮境内

指定年月日:平成7年10月2日

18世紀末、盛岡藩士大巻秀詮によって編まれた「邦内郷村誌」に次のような逸話が紹介されています。

「村の長老の話によると、慶長年間(1596~1615)、盛岡藩二代目藩主南部利直公が浪打峠を過ぎて越田橋にさしかかったときに突然、利直公の乗る馬が進まなくなった。すぐに従者に橋の下を調べさせると、裏側に梵字の刻まれた不思議な石が見つかったという。私(大巻秀詮)もその石を見てみたが、苔むしていて読むことができなかった。一説には八の字が刻まれているという。奇石と言うべきである。近ごろ地震の影響で裂けて二つになってしまい、今は八幡宮に置かれている。(意訳)」

このように南部利直が見つけたと伝えられる板碑が、小枝八幡宮社殿手前の階段脇に置かれています。上下2つに割れてしまっていますが、もともと高さ150センチメートルを超える堂々とした碑であったと推測されます。

上半部に阿弥陀如来を表す種子(脚注)キリーク(図参照)が刻まれており、阿弥陀如来を本尊として年忌供養を営んだ板碑とみられます。「邦内郷村誌」の逸話で八の字とされているのは、キリークの上部を見間違えたものと考えられます。

岩手県内では、1,000基を超える板碑が確認されていますが、その分布は県南部に偏っています。県北部では一戸町3基、二戸市1基、八幡平市安代1基の計5基しかありませんので、県北部に偏在する宝篋印塔の分布とは非常に対照的です。板碑の多くは、鎌倉時代から江戸時代初期にかけて造られており、「小枝八幡宮板碑」も、14世紀初頭の鎌倉時代後期に造立されたと推定されています。

種子キリーク

阿弥陀如来を表す「キリーク」

(脚注)種子(しゅじ)は、板碑の碑面上部に大きく刻まれる梵字のこと

「小枝」表記について

八幡宮の所在する土地は現在「小井田」と表記されますが、この文化財の名称は指定当時の調書に合わせて「小枝」を用いています。

江戸時代の文献には、上記二つの他に「越田」「肥田」などがみられます。

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