嘉永七年盛岡暦

更新日:2021年01月20日

嘉永七年盛岡暦

嘉永七年盛岡暦

《町指定有形民俗文化財》

ふりがな:かえいしちねんもりおかごよみ

名称:嘉永七年盛岡暦

数量:1

所在地:御所野縄文博物館

指定年月日:昭和61年12月25日

江戸時代の盛岡藩では、国内でも珍しい、絵で描かれた暦が作られていました。

それは「めくら暦」とも呼ばれ、字の読めない人でも分かるような内容になっています。盛岡城下で作られたものと田山(八幡平市)で作られたものの2系統があり、盛岡暦と田山暦に分類されます。

かつて来田地区の肝入を務めたという家に伝わる「嘉永七年盛岡暦」は、版面が大きく左右二つに区切られ、右面には暦、左面には付録とみられる農作物が描かれています。

右面を見ると、上部中央に年号の欄には、通い帳(嘉永)、虎(寅年)、2の目と5の目のサイコロ(足して7)が描かれ、これが嘉永7年(1854)の暦であることを示しています。その左右には月を表すサイコロが並び、太刀の描かれた右側は「大の月」、小刀の描かれた左側は「小の月」を表しています((注)当時は太陰暦が用いられ、月末が30日まである月を「大の月」、29日までの月を「小の月」と区分していました。)。中央から下部までの小さく区切られたマスには八十八夜や寒の入りなどの時節が描かれ、サイコロの目で月を、重箱や黒い点などで日付を、絵柄でその内容を表しています。

左面には、稲、大豆、大根などの農作物が雌雄2株で描かれています。これは当時、草木には雌雄の区別があり雌の方が作柄が良いという説が信じられていて、雌株から種を取ることが推奨されていたことによるものです(現在この説は否定されています)。

現存する江戸時代に作られた盛岡暦のほとんどは縦長の紙に暦だけの内容で描かれており、このような付録の付いた暦は嘉永7年と8年の2年分だけしか確認されていません。

入梅のマス

入梅(にゅうばい)

左の画像のマスは、5の目のサイコロ(5月)、重箱一つと四ッ菱(14日)、荷物を奪う盗賊(荷奪い)で、5月14日入梅(にゅうばい)を表しています。

 

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