火行墳墓

更新日:2021年07月06日

火行墳墓

火行墳墓

《町指定史跡》

ふりがな:ひぎょうふんぼ

名称:火行墳墓

数量:1

所在地:中山字西火行

指定年月日:昭和53年10月30日

奥州街道ヨノ坂の南端の交差点にほど近い林の中に「火行墳墓」は位置しています。

墳墓とは土を盛って造られたお墓の総称です。昭和53年に町史跡に指定された文化財ですが、当初は墳墓ではなく一里塚として指定されていました。穴久保下女鹿沢一里塚及び笹目子上女鹿沢一里塚とともに、江戸時代以前に造られた古い一里塚と考えられていたのです。

しかしながら、その後の観察によって、高さが1メートルほどしかなく他の一里塚に比べて土の盛り方が低いこと、街道を挟んだ両側に1基ずつあるはずが片側にしか見つからないことなど、一里塚ではない可能性が浮かんできました。

そこで、昭和59年8月、町教育委員会では内容確認のため塚の発掘調査を実施しました。

調査の結果、塚は周囲を掘り下げて生じた土を中央に盛って造られたことが分かりました。また、中央部からは火葬された人骨と古銭が二枚出土しました。古銭のうち一枚は「治平元宝」という中国の北宋時代の貨幣で、日本では12世紀終わり頃から18世紀初頭にかけて流通していたものでした。

以上のことから、塚は一里塚でなく300年以上前に造られたお墓であると明らかになり、あらためて町指定史跡「火行墳墓」として保護されることになりました。

指定されたときと現在とで、指定内容が異なる文化財は町内でこれ一つだけです。

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 世界遺産課 文化財係

〒028-5311
岩手県二戸郡一戸町高善寺字大川鉢24番地9
電話番号:0195-32-2652
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