小性堂宝筐印塔
小性堂宝篋印塔
《町指定有形文化財》
ふりがな:こしょうどうほうきょういんとう
名称:小性堂宝筐印塔
数量:1
所在地:小鳥谷字小性堂
指定年月日:昭和53年10月30日
宝篋印塔は、中国の五代十国時代に呉越王の銭弘淑(せんこうしゅく)が宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)(密教由来の経典)を納めて建てた8万4千基の金銅製の塔が起源とされ、日本では鎌倉時代から石で造られるようになりました。基礎、塔身、笠、相輪の四つの部位で構成され、相輪以外は上から見ると四角形をしています。
二戸地域では一戸町を中心に宝篋印塔が数多く分布し、岩手県内の中世から近世に造られた宝篋印塔のうち約8割がこの地域で確認されています。町内では、町の歴史と文化を象徴するものとして、12基が文化財に指定されています。
その一つ「小性堂宝篋印塔」は、小鳥谷から奥州街道を北に向かって進み尻引坂を上った東側の畑に立っています。
高さは88センチメートル、笠に階段状の装飾のない省階式で、相輪の下部を欠いている以外は完全な形で残されており、室町時代末期から江戸時代初期の造立と推定されています。
近くには御小性神社があり、旅の途中で亡くなった年若い小姓を悼んで建てたお堂と伝えられています。江戸時代の終わり頃に盛岡藩士漆戸茂樹が記した『北奥路程記』には「胡四王なるべし」と書かれており、もともと胡四王神社だった可能性が示唆されています。
(注意)胡四王(古四王とも)神社とは、秋田県から新潟県北部の日本海側に多く分布し、岩手県内では花巻市の胡四王神社がよく知られています。
この記事に関するお問い合わせ先
教育委員会 世界遺産課 文化財係
〒028-5311
岩手県二戸郡一戸町岩舘字御所野2
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更新日:2021年09月10日